Thom York commented about Radiohead’s new song “Harry Patch”.
あのね、裁判員制度! 来たー、重いね、制度の話
裁判員制度あんじゃん?
裁判員制度があることでさ、すごいみんなさ今、一生懸命さ
「一般の人に“わかりやすい表現”で事件とか事故の話をちゃんとしなきゃ」
「検察側も今までの法律用語や裁判用語みたいなのを離れて
なるべくそのときに来た裁判員の人に“わかりやすい話”をしよう」
ってことにすごい躍起になってる、みたいなニュース
すごいやるじゃないですか
なんかそうやって考えたら
そこ(=わかりやすく表現すること)で選んでないじゃん今まで
裁判官になる人にその試験ってなかったわけでしょ今まで
弁護士とか検察官になる人にその試験がなくて選んでるわけでしょ今まで
なのにそんなことが技術の最重要なファクターの中に入ってくるって、どうなの?
俺は今までの「裁判員制度なし」の裁判のときだと
法律用語同士とか裁判用語同士のほうが変な感情とか入んなくて良いから
それで喋れるようにみんなしてると思うの
そうすると
『 60km のスピードで車が壁に激突し、木っ端微塵になりました』
って言うことと
『 60km のスピードで車が壁にぶつかって、たくさんの部品が取れました』
って言うことの
この「言葉のテクニック」というのは
おそらくディスクジョッキーとか俺たちみたいな喋り手は
なるほど同じ出来事でもこう伝えたいああ伝えたい、ってときに…
『濡れそぼる菊座』
…ね?
『湿り気のある肛門』
この「差」っていうのがすごく難しいところだと思うんです
今伝えたい
『排泄のための穴の部分が他の肌よりも湿度が高い』
っていう話をするときと
『テラテラと濡れそぼる菊座が…ッ!』
っていうこのトーンも含めて変えることで
ぜんぜん相手に伝えるニュアンスが違うじゃないですか。ね?
「掘ってくれ!」っていうニュアンスがどっちが出るっていう
ただ機械的な肛門
…「プリザ S 」の CM で出てくる CG の肛門を見せようと思うのと
相当ニュアンスが違ってくる
この練習は三遊亭楽太郎のもとですごいしたよ
このときに
「江戸っ子なんだから『結局』っていう言葉は硬すぎるから『とどのつまり』って言いなさい」
とか
「ここは『スプーン』って言ったら現代語だから古い言葉は『さじ』というのがあるので『さじ』を使いなさい」
っていうのを
すごい聞かされて
それを使い分ける練習をしてきて
未だマスターはできてないけど(自分は)その道の人じゃん
でもさ、そんな練習してない人にそういうことをやらせるとなるとさ
もし裁判員制度がふつうにこれからきちんと
…まぁ定着するんだろうねきちんと法律になってるんだから
そしたらその試験とか出てくると思うんだよね
出なきゃいけないじゃん
「掘ってほしいとき」
にどうで
「ただ単にお医者さんに状況を説明するとき」
はこう
みたいな「差」を言えないとダメなのにそんな稽古をしていない
「あらかじめ、裁判員制度がこうなるから
弁護士さんの免許にも検察官の免許にもこういう要素を入れていきますよ」
が先じゃね?
いま今日の段階でちょっとそこの「言葉のマジック」が得意な側に
…もしだよ? 判断が傾くとするならば、それはどうなん?
って思ったりするんですけど
…するんですけど? するんですけどなんですか?
♪するーんですけどなんですかー?(歌)
振り付けは各自考えてくださいw…ジュリ扇は使いますよ!
一般より遅い時間まで起きられず、夕方以降になると元気が出てくる「夜型人間」には、夜間に「朝型人間」にはみられないような活力のピークがあることが、カナダ・アルバータ大のチームによる研究で分かった。
その結果、朝型のグループでは1日中、筋力にほとんど変化がみられなかった。一方、夜型グループについては、午後9時前後に最大の数値が出ることが明らかになったという。
音楽について
長い間、自分がやりたい音楽と、仕事の兼ね合いで苦しんできた。(※父は音楽をやる人である)
この曲を自分のものにしたいと思って練習しているときと、日々の仕事に追われているときでは、あまりに違う。「魂のレベルが違いすぎる」。仕事なんか馬鹿らしくてやっていられないと思う。しかしそういうわけにも行かない。自分が死なないためにも、妻子を養うためにも、仕事を投げ出すことはできない。このギャップにずっと苦しんでいた。
これは、時間の尺度を変えて考えることで少し楽になった。仕事はまさに日々の糧を得るための、一日一日を単位としたもの。対して音楽は、もっと長いスパンで進めていくものと考えた。今日のわずかな練習は、ずーっと長い時間の中の一部であって、無駄にはならないのだと。
さらに、音楽の本質とはなんだろうと考えるようになった。耳で聞こえるものか。そうではない。聾の人もカラオケに行ってマイクを取って歌うし、イヤホンをつけて曲を「聞く」。そしてそれを楽しんでいる。(※父は特殊教育に携わっている)
耳の聞こえる自分がやるのも音楽だし、聾の人たちのそれも音楽だとするなら、そこに共通する本質とはいったい何かとずいぶん考えた。そして答えを出した。
音楽とは「時間の流れを身体で感じること」であり、それは「美しさを尺度とする」。これが俺の考える音楽の本質だ。

Murmur Study is an installation that examines the rise of micro-messaging technologies such as Twitter and Facebook’s status update. One might describe these messages as a kind of digital small talk. But unlike water-cooler conversations, these fleeting thoughts are accumulated, archived and digitally-indexed by corporations. While the future of these archives remains to be seen, the sheer volume of publicly accessible personal — often emotional — expression should give us pause.
This installation consists of 30 thermal printers that continuously monitor Twitter for new messages containing variations on common emotional utterances. Messages containing hundreds of variations on words such as argh, meh, grrrr, oooo, ewww, and hmph, are printed as an endless waterfall of text accumulating in tangled piles below.
悩んでると言えるかもしれないし、単純に「思ってる」だけなのかも知れない。
些細な事から、全く答えの出ないことまで、日々。 考えてみたら十代の少年期、そいういう解決方法が分からない事柄からの逃げ道として音楽にのめりこんでいたのかも知れない。音楽に関わっている時間は「無心」だった。
ゆえにその頃親しんだ音楽は生涯を通して聴き続けたり、数十年後、再発盤を必死に探したりする。音楽と感情が結びつくという現象が起こりやすいのもこの年代に触れたものが圧倒的に多いことでしょう。
それくらい音楽と密接に過ごした十代半ばからの十数年、みんな経験があるのではないかな。
『 私が6歳か7歳くらいだった時の、遥か昔のインデアナでのことを思い出します。
私はパフォーマーというか、皆さんもご存知でしょうが、エンタテイナーになりたいという夢を持っていた。
夜寝ている時いつも、母は私を起こしてこう言ったものだ、
「マイケル、マイケル、ジェームズ・ブラウンがテレビに出てるわよ!」 と。
私はベッドから飛び起きて、ただ画面を凝視したものだし、すべてのツイストやターンや腰を動かしたり、グラインドしたり
しようとしたものだ。Jackie Wilsonも出てきた。他の有名人もたくさん次から次へだ。本当に目を見張るような、際限もないような偉大な才能の連続だった。
この時のアーティスト達が現実に一文無しな状態なのを見る事は本当に悲しいことだ。 彼等は世界中にとてつもない喜びを生み出したのに、 レコード会社を初めとするシステムが完全に彼等を利用したからだ。
レコード会社がいつも主張するように、”アーティスト達は豪邸を建てた”とか、”大金を浪費している”とか、”たくさんの車を買った”とか、 言うようなことではないんだ。そんなこと馬鹿げている。それは言い訳だ。
そのようなことはアーティストが成し遂げたことに比べれば、なんでもないことだ。
我々が現在闘っていることは、非常に重要なことだと皆さんに知ってもらう必要がある。
なぜなら私はうんざりしているからだ。 私はごまかしに対して心底うんざりしている。
現在の状況で実際に何が起きているのかに関してマスコミがいかに全てを操作しているか本当に嫌気がさしている。
メデイアは真実を話さない。彼等はうそつきだ。
それから彼等は我々の歴史の本を操作している。
我々の歴史書は真実ではないんだ。 それは嘘だ。歴史の本は嘘だ。
皆さんはそれを知らなければならないし それを知るべきなんだ。
ジャズからヒップホップ、ビーバップ、ソウルにいたるまでのすべてのポピュラー音楽の形式や、 Cake WalkからJitter Bug、Charleston、Break Dancingまで異なるダンスの形、つまりこれらのすべては、Black dancingという様式なんだ。
現実逃避という感覚、つまりエンタテインメントという現実逃避を人々に与えること以上に重要なことって何だろう?
歌がなかったら我々はどうなるだろうか?
ダンスがなかったら我々はどうなるだろうか?
喜びや笑いや音楽がなければ?
これらはとても重要なことだ。
しかし、もし我々が角の本屋に行けば、 たった一人の黒人さえも本の表紙になってはいない!という現実を見るわけだ。
皆さんはエルビス・プレスリーの顔を表紙に見るだろうし、ローリング・ストーンズも見るだろう。
でもそれを最初に始めた本当のパイオニアはどこにいるんだ?
Otis Blackwell は多作で素晴らしい作曲家だ。彼は最も偉大なエルビスの曲の幾つかを書いた。
でも彼は黒人だったんだ。 彼は一文無しで亡くなった。そして誰も彼のことなんか知らないし、つまり、彼について書かれた本なんか一冊もない。 なぜなら僕は世界中探してきたからわかるんだ。
もう一生のバイブルだわ。
朝に岩明均の「寄生獣」全十巻読破を思い立って、何度も涙腺決壊しながら一日で達成しました。
もう二十年近く前に連載開始の作品でこの内容とか岩明均すげえええ。
メインテーマである地球・生物・自然と人間についての掘り下げの深さは、現在に於いても全く色褪せないどころか、むしろ環境問題がよりシリアスかつ身近になった今こそ読まれるべきものだと思った。
やっと時代が追い付いたか、いや、追い付いていない、追い付けない。
この世界は進路を誤って、「寄生獣」の思想には到達できない道を歩んでしまった。もう引き返せないだろ。
しかしだからこそ、環境問題が深刻化し続ける今後にもこの作品は読み継がれるべき。
成長、家族愛、母性、恋愛、哲学、知略戦、死などのサブテーマも絶妙なさじ加減で織り込まれてるので、物語から受ける感慨も多様で深みと拡がりとメリハリがあるし、地球環境をテーマにした作品にありがちな説教臭さは無い。
物語終盤には広川市長のスピーチとか新一のモノローグとか、説教臭くなるリスクの高そうな表現手段を用いた場面もあるけど、作者の思案の深さと台詞回しの巧みと絵の迫力のお陰で全然気にならない。