安全にはコストがかかるということ

自動車を設計する時に「どんな事故にあっても中の人が死なないように」作ろうとすれば、戦車のようなボディーが必要だし、最高スピードも抑えなければならない。そんなことをすれば自動車そのもののコストも今の何十倍になってしまうし、燃費も極端に悪くなる。そんな車は誰も買わないので、自動車会社としては、ある程度のリスクを覚悟で(つまり、安全性を犠牲にして)、軽くて速くて燃費の良い自動車を作っているのだ。

原発も同じで、「どんな地震や津波がきても 放射能漏れは起こさない」ようにしようとすると、作るのにも運営するにも莫大なコストがかかってしまう。それでは電気代が高くなってしまうので、どこかである程度の妥協はせざるを得ない。福島第一で原子炉そのものは地震に耐えたのに、冷却水ポンプを動かすのに必要な電源系統がバックアップも含めて津波でやられてしまったのは、その妥協が原因。

言い換えれば、自動車であれ原子炉であれ、安全にすれば安全にするほどコストは上昇して経済効率が悪くなるというのは、すべての設備や道具にあてはまる話なのだ。別の言い方をすれば、「絶対に安全にする」には「無限にコストがかかる」わけで、「絶対に安全」にすることは現実的には不可能である 。つまり福島第一での事故は「100年もしくは1000年に一度の巨大地震が来たからために起こった偶然の産物」のではなく、「経済性と安全性のバランスを考えて作った結果の必然の結果」だったのである。

つまり、地震国である日本で原子力発電をして行くということは、どんなに技術が進もうと、何重にも安全装置を付けようが、今回のような事故が起こる確率をゼロにはできない、ということをしっかりと認識しておく必要がある。それも「可能性はとても少ないが、万が一の時は今回の事件のような多大な損害をもたらす」という特殊なリスクが伴うことを。