ずっと陽の目を見なかったエネルギー自由化の議論

飯田 政治的な結果でいうと、中曽根康弘さんがアメリカに調査に行って、強引につっこんだ「原子力予算」というところからまず始まったんですけれど。それはいわゆる原子力研究所のような国の機関から始まって、そのあと、今度は電力会社がやることになった。日本原子力発電の東海1号炉という、今は廃炉になったものが一番最初の事業ですね。

小林 これは何年くらいでしたっけ?

飯田 1950年代半ばだっと思いますね。ただこれは、イギリス型の原子炉だったんです。これはあまり性能が良くないというのもあったんですが、それ以上にアメリカが日本に原子力を売りたいというのがその頃にあった。

でもこれは日本だけじゃなくて、ドイツもスウェーデンもイギリスもそうでした。特にフランスは、シャルル・ド・ゴール(フランス第五共和政初代大統領)が一気に進めました。

小林 それはアメリカのを買ったんですか?

飯田 もともとはどの国もそうなんですが、自国型に改造して自前の技術にしたんです。
いずれにしても1960年代は、アメリカが世界に原子炉を売りたかったという事情がありました。
そのころの有名な言葉で「too cheap to meter」(原子力発電の電気は安すぎて計る必要もない)というものがあって。そういう「夢のエネルギー」という青雲の志というか仮想的な坂の上の雲を、誰もが原子力に見ていたんですね。こうして、みんなが原子力に進んだ時代が1960年代です。

飯田 そうですね。そのようにして1960年代は原子力が右肩上がりだったんですが、同時に環境思想も一気に進んだ時代でした。それが1970年前後の環境保護運動や公民権運動とか、ヒッピーなどの対抗的政治文化につながっていく。

そこに、1973年の石油ショックが起きるんですね。石油ショックというのは本当に石油がなくなったわけではなくて、それまでヨーロッパとアメリカの石油メジャーが持っていた石油権益を、産油国が自分たちのところに取り返して、石油の価格や産油量をコントロールし始めたという出来事だったのです。その結果、アメリカやヨーロッパ、そして日本などの先進国は、原子力という対抗力を持つことで、産油国に対して切り札にしようとしたんですね。ブラフですが。

小林 なるほど。

飯田 そういう風に、先進国はどこも、1973年に国と国営電力会社が一体になって原子力を進めようとしたのに対して、学生運動や市民運動などによる下からの革命がNOを突きつけるかたちとなりました。環境保護運動と政治的な運動がすべて反原発運動に合流して、世界全体がそれですごく盛り上がるんです。そこからドイツは緑の党が生まれましたし、スウェーデンはもつれ合いながら、最後は国民投票になりました。

日本だけは反原発運動は、ほぼ完全に無視されて、アウトサイダーに置かれ続けたというか、国会の議論にはまったくならなかったんですね。

小林 それは国営化されていないところにエネルギーが委ねられていたことが影響するんですか?

飯田 というよりもやっぱり民主主義の話だと思いますね。

小林 民主主義が根付いてない?

飯田 はい。やっぱり経産省、当時の通産省と政治はとにかく石油をどうするんだというというところに終始していました。そこにもうひとつ、1979年に、第二次石油ショックとスリーマイル事故がありました。日本はやりすごして政治的にはあまり影響がなかったのですが、スウェーデンやデンマークやドイツ、オーストリアでは、実はチェルノブイリではなくてスリーマイルの事故によって、原子力政策が死んだんです。

そのあと日本で唯一、国全体の大きな議論に原子力が上がりかけたのがチェルノブイリ原発事故(1986年)です。それも、その後の地球温暖化の議論のなかで、原子力が有効だという話に掻き消されてしまった、というのが大きな流れかなという感じですね。

どうして日本で電力自由化の議論が止まったかというと、2000年の末から2001年の始めにカリフォルニアで大停電がありました。それで日本の電力会社は、あれは対岸の火事ではなく、自由化したらあんな目にあうぞという議論をしかけてきました。

小林 日本の電力会社がですよね? なんだか覚えています。

飯田 はい。一方、日本の電力自由化論者は、「自由化が中途半端だからそうなったんだ」という反論をして、議論がネジ曲がってきたところに、2001年の9月にエンロンが倒産したんです。

実はそのカリフォルニア大停電もエンロンがウラで悪さをしていたというオチがあるんですが、日本の電力自由化の議論にはエンロンも深く関わっていたのです。エンロンが作ったイーパワーという会社が通産省にも協力して、日本の電力自由化議論の理論武装していたんです。それが一瞬にして消えてなくなったわけです。エンロンの崩壊が日本の電力自由化の息の根を止めた、というのは現実です。

小林 なかなか難しい話だね。

飯田 そうなんですよ。で、電力自由化の議論を率いていた経産省の中の改革派と呼ばれる人たちが、かなりそこで左遷をされたんですね。

小林 へえー。

飯田 ちょうど1年ほど前から、私は原子力に携わる内側の人たちと一緒に、原子力政策の合意ではなく、原子力政策が直面する課題を議論し合意するための、原子力政策円卓会議というのを始めました。原子力ムラの中にも、ちゃんと議論ができる人たちがけっこういるんですよね。その中のある人が「今の原子力ムラの中は、安政の大獄なんですよ」と、非常に面白いことを言ったのです。普通のことを普通に外に向かって言うだけでも、完全に弾圧されて差し止めをくらうんだ、と。それほど言論統制が原子力ムラの内側にはあったのです。

合理性とか論理を追求し、普通の議論ができなくなってきていることを内側の人が証言をしていたのが去年くらいのことですね。そしてその挙句に今回の事故が起きた。

小林 たしかにでも、自然エネルギーのブームも全部意図的に押さえこまれたような気もしていたのですが、やっぱり揚げ足をどんどんとられていくっていうのもそういう原子力を推進しているような力がなんらかの形でかかってきたりするんでしょうか?

飯田 いやもう、ダイレクトにかかるというか(笑)、電力の既得権益には大きく分けて2つのセクターがあるんです。独占を守りたい人たちと、原子力に思い入れがある人たち。この両方にとって、自然エネルギーのような小規模で分散型なエネルギーが広がっていくというのは、非常に面白くない。彼らにとってはやっぱり封じ込めたいと。